アイドルLovers(18禁)


第十三章 電話

 カズヤの運転する車で、芳樹は飲み屋街へと連れて行かれた。スタジオから、三十分足らずの距離だった。
 車をコインパーキングに停め、カズヤが芳樹を案内したのは、少しくたびれた感じのする居酒屋だ。
 カズヤが店の扉を開き、店内に入る。店主に大声で、らっしゃいと声を掛けられ、芳樹はついお辞儀を返してしまう。カズヤに笑われてしまった。
 情連なのだろう。カズヤは店員に案内を請うこともなく、二階へと続く階段を上がった。
 二階には座敷があるのだという。
 襖を開けると、中から、食べ物の匂いと、それを凌駕する酒の匂いが芳樹の鼻に届いた。
 部屋の中は、かなりにぎやかだった。飲み会は随分早く始まっていたのだろう。
 カズヤの背に隠れるようにして、座敷に入った芳樹は、部屋にいる人達を見とめて、目を瞠った。
「うわー。本物のワイルドがいる」
 思わず声を上げていた。
 その声に室内にいた全員が、芳樹に視線を向ける。
「あー! Winのヨシキだ」
 茶色い髪を逆立てた一人の男が、立ち上がって芳樹を指さした。彼はベース担当のジニーだ。
 この部屋には、芳樹が中学生の頃から大好きだったワイルドのメンバーが、全員揃っていた。
「うおー。モノホンだ、モノホン」
 ギター担当のイソムーが興奮した声を上げる。
「なーにー? 本当だ。誘惑の美女じゃねぇか」
 そう言ったのは、ワイルドの中で一番体格のいいドラムのダイゴだ。
 誘惑の美女という、言葉につい反応して、芳樹はカズヤの背に隠れた。
「おいおい。おめぇら。盛りのついた雄じゃなし、美人連れてきたからって、興奮してんじゃねーよ」
「いや、するだろうがよ」
 流石に長年付き合っているだけあるのか、全員そろってカズヤに突っ込みを入れる。
「カズヤ、どうやって、口説いて来たんだよ」
「美人連れてくるなら、そう言えよー」
 ダイゴとジニーが口々にカズヤを責める。カズヤはそれに適当に答えている。
「あの、俺、男なんですけど……」
 口を挟むが、誰も聞いていなかった。
「ほらほら、ヨシキくん。こっちおいでー。お兄さんが可愛がってやるから」
「てめっ。何、独り占めしようとしてんだよ」
「テメーだってそうじゃねぇかよ」
 何やら、言い争いが始まった。今にも掴みかからんばかりの勢いに、芳樹は仲裁に入った方がいいのかと焦る。
「いつものことだから、余り気にするな。あいつら、かなり酒入ってるからな。何せ昼から飲んでるから」
 カズヤが振りかえり、芳樹に小声で声をかけてくるのに、頷いた。
 結局、芳樹を端に座らせ、カズヤがその隣に座る形になった。
 しばらくの間、芳樹に興味を示していた酔っ払い達は、そうそうに飽きたのかワイ談を始めてしまった。メンバーはどうし、随分と仲が良いようだ。
 メンバー達の会話に参加せず、カズヤは頼んだウーロン茶を飲んでいた。
「あの、お酒、飲まないんですか?」
 どう話を切り出していいか分からず、芳樹は当たり障りのないことから尋ねた。
「ああ。酒は体質に合わなくてね」
 苦笑気味に言われた言葉に、芳樹は素で驚いた。
「えっ! 意外です」
 よく言われるよと答えて、カズヤは不意に真剣な表情になった。
 ウーロン茶の入ったコップを手で弄びながら、口を開く。
「この間は、悪かったな」
「えっ?」
 思いもかけない言葉に、芳樹はカズヤを見つめた。カズヤは苦笑いを口元に浮かべる。
「あんた見てるとさ。性癖に悩んでいた頃の自分と重なって見えてな。つい、余計なことしちまった」
 カズヤの顔は至極真面目だった。カズヤの言う余計なこととは、あのキスのことだろう。
「それに、かなり無防備に見えたからな。警告も込めてああいう行動に出た訳だけど。余計に悩ませちまったか」
 芳樹はカズヤの真摯な瞳から目を逸らし、首を横に振った。
 確かに、カズヤの言葉にはかなり苦しめられた時もあったし、悠斗への思いを自覚するきっかけにもなった。
 それが、良かったかどうかは別として。
「俺、そんなに分かりやすかったですか?」
 芳樹が小声で問うと、カズヤが頷いた気配がした。
「まあ、気づいてたのは、俺くらいだと思うけど。あのあと、進展あった?」
 芳樹は、梅酒の入っていたコップをぎゅっと握りしめた。
「自分の気持ちに気づいて、失恋しました」
 素直に答える必要はないはずだった。それでも口にしてしまったのは、悠斗に失恋した事実が、思っている以上に堪えていたからかもしれない。
「失恋ねぇ。俺は脈ありだと思ってたけどな。彼には随分睨まれたし」
 カズヤは敢えて悠斗の名を出さず、彼という言葉を選んでくれたようだ。それが、カズヤなりの気遣いなのだろう。
「睨んでたんですか?」
 あの時の悠斗の顔を思い出そうとしたが、駄目だった。あの時はかなりパニックに陥っていて、記憶が曖昧だ。
「おお、睨まれたね。凄い形相で」
 笑いを含んだ声に、芳樹はカズヤに視線を戻した。
 カズヤは穏やかな目をしている。
 言われたことも、されたことも突拍子もないことだったが、彼は彼なりに自分を心配してくれていたのだろう。ほとんど話したこともない自分を。
 良い人なんだなと、芳樹は思った。
 黙り込んだ芳樹に、カズヤが声をかける。
「で、話したいことってのは、これで良かったのかな?」
 芳樹ははっとした。予定の入っていたカズヤに、わざわざついて来た理由を思い出したからだ。
 自分はこの人を疑っていたのだ。
 嫌がらせのような電話や、プレゼントを贈りつけてくる相手ではないのかと。
 でも、この人じゃない。
 芳樹はそう思った。
 考えてみれば当たり前の話だ。カズヤは芳樹よりも数倍仕事が忙しいだろう。電話やプレゼントを贈るような手間をかける時間があるはずもない。
 それに、彼ならわざわざ名を伏せて、プレゼントを送ってきたりはしないだろう。何せ、ほとんど話したこともない相手に突然キスをするくらい、大胆な行動を取る人なのだから。
 芳樹がカズヤの質問に答える前に、声が割って入った。
「おい、こら、カズヤ。てめぇ、一人で、ヨシキくん独占してんじゃねーよ」
 そうだそうだと、酔っ払いと化したワイルドのメンバーが絡んでくる。
 芳樹は否応なしに、話の輪へと入っていかなければならなくなった。



 飲み会は、芳樹が参加を始めてから二時間で終了した。
「すっかり引き留めちまって悪かったな」
 車に乗り込むと、カズヤが運転席から声をかけた。
 酒を飲んでいないカズヤが、芳樹をマンションまで送ってくれることになったのだ。普段は彼が、酔っ払ったメンバー全員を家まで送り届けるのだという。今日は、芳樹がいるので、全員カズヤがタクシーに押し込んでいた。
 基本的に、カズヤは面倒見が良いのだろう。
「で、どっちの方向に行けばいい?」
 尋ねられて、芳樹は咄嗟に自宅マンションのある場所を告げた。
 やはり、ストーカーは、カズヤではない。芳樹はさらに確信した。ストーカーなら、芳樹の住んでいる場所を知っている。
 ゆっくりと車がスタートした。
「裏道通るけど、変な所に連れ込むつもりはないから安心しろよ」
 含みのある声で言われ、意味がよく分からず芳樹は首を傾げる。運転席に目をやると、カズヤの端正な顔が目に入る。
 しばらく走って、カズヤが何を言いたかったのか分かった。カズヤが車を向けたのは、ラブホテルが多い道だった。
 こう言う所とは縁遠い芳樹は、少しだけ物珍しげに外を眺めた。
 進行方向の斜め左側にあるラブホテルの前に、人影が見えた。
 その人影が誰かに似ている気がして、芳樹は目を凝らした。
 暗い夜道。そこそこ暗さに慣れた目に映ったのは、キスをする男女の姿。
 その姿に、息を飲んだ。
 車はすぐにその横を通り過ぎる。
「いいねぇ。若い奴は」
 カズヤもキスをしている二人に気付いたのだろう。そんな風に揶揄する言葉を吐いた。
 だが、彼は気づかなかったのだろう。キスをしていた人物が誰だったのか。
 ほんの数瞬だったが、芳樹には分かった。
 男女の内、男性の方は芳樹の良く知っている人物。
 悠斗だった。
 悠斗が女の人とキスをしていた。
 見間違いなんかじゃない。ほんの少しの間だったが、芳樹が悠斗を見間違えるはずがないのだ。十年以上も一緒にいるのだから。
 胸が痛い。
 とっくに失恋しているはずじゃないか。
 悠斗に彼女がいるのも知っている。
 それなのに、性懲りもなく芳樹は傷ついている。
 車は、大通りにでると、赤信号で停車した。
「気分でも悪くなった?」
 尋ねられて、思わず体を震わせた。
「え?」
 運転席に視線を向けると、カズヤが心配そうにこちらを見ている。
「顔色が悪いように見えるけど」
 芳樹は顔を正面に戻して、俯いた。
「すみません。大丈夫です。ちょっと、疲れてて」
「あいつらも、かなりヨシキくんに絡んでたからなぁ」
 カズヤは苦笑して、車を発進させた。
 問われるままに、道筋を教えて行くうちに、マンションの前に着いた。
 芳樹は礼を言って、車を降りた。
 暗い気分のせいで、知らず知らずの内に肩を落としていた。
「ヨシキくん」
 運転席のウィンドーが下がって、名を呼ばれる。
 何かと思い、運転席に近寄って、顔を寄せる。すると、カズヤは運転席から身を乗り出して、芳樹に口づけた。
 驚いて、身を引く芳樹に、カズヤは笑みを見せる。
「言っただろう。君は無防備すぎるって。もう少し、警戒心を持たないと。よく知りもしない相手に、マンションの前まで送らせるなんて、危険だよ」
「き、危険?」
 戸惑いながら、それだけ口にする。
「そう。危険。こういう場合は、自宅の場所は教えず、少し離れた場所でおろしてもらう方がいい。そうすれば、相手に自宅の場所を知られないですむだろう」
 言われたことはもっともで、芳樹は頷いた。
 本当に、面倒見の良い性格なんだな。
 そう思って、芳樹はカズヤに向かって、微笑んだ。
 気にかけてもらえたことが嬉しい。悠斗のキスシーンを見てしまい、落ち込んでいた気分がほんの少しだけ、浮上した。
「でも、カズヤさんは知らない人じゃないし、良い人だと思ったので」
 芳樹が言うと、カズヤは苦笑した。
「うーん。素直というか、なんというか。普通、いきなりキスしてくるような男相手に、良い人なんて言葉は当てはまらないだろう。君は本当に危なっかしいな」
「危なっかしい……ですか?」
「素直なのは、美点だろうが、簡単に人を信じ過ぎないようにな」
 カズヤは窓から腕を出し、芳樹の頭を撫でて笑みを見せ、車を発進させた。
 カズヤの車が見えなくなるまで見送ってから、マンションへ入る。
 三階にある自宅のドアを開けると、唐突に電話の呼び出し音が耳に届く。
 一気に体が冷える気がした。
 ドアのカギを閉めて、リビングへと足を向ける。
 リビングに通じるドアを開けると、電気を点けて、固定電話に目を向けた。
 しつこく鳴り続ける呼び出し音。
 電話を取ることができない。
 取りたくない。
 怖い。
 唐突に、呼び出し音が途絶えた。変わりに、室内に女性の声が響く。
『ただいま、電話に出ることができません……』
 無機質な女性の声が、住人が留守であることを告げる。
 ピーっという電子音が鳴った。
 その後に聞こえてきたのは、男の怒鳴り声だった。
『また、浮気したな! 二度目はないと言ったはずだ。許さない、絶対に許さない』
 大きな音を立てて、電話が切れた。
 心臓の鼓動が速くなる。
 体が震える。
 芳樹は、壁に片手をついて、そのままずるずると床に座り込んだ。

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