アイドルLovers(18禁)


第三章 反響

 Winが出演した美王化粧品のCMが放送され始めてから。予想以上の反響があった。
 Winについての問い合わせもかなりあったらしいが、それ以上に、あの女性は誰だという問い合わせが殺到したらしい。
 女性が芳樹の女装した姿だと、公表されたあとは、芳樹が思っていた以上に注目されてしまった。
 出演依頼が殺到し、真希は嬉しい悲鳴をあげている。
 CMソングになっている新曲のプロモーションも兼ねて、今まで出してもらえなかったような番組にも、三人そろって出演している毎日だ。
 そのたびに、芳樹の女装した映像が流され、それについて、コメントさせられる。
 芳樹にとっては苦痛でしかなかった。



「あ。ヨシキ君。見たよCM」
 テレビ局の廊下を一人歩いている時、芳樹は声をかけられ振り返った。
「あ、佐々木さん。御無沙汰しています」
 以前、ドラマで共演したことのある中年の俳優だった。整った顔立ちではあるが、どちらかというと強面である。彼もどうやら一人らしい。いつもついているマネージャーはどうしたのだろうか。
「ドラマの、撮影ですか?」
「ああ、ちょっと息抜きに出てきた」
 佐々木はおもむろに、芳樹の腰を抱いて、自身に引き寄せた。驚いて固まった芳樹の耳元に、唇を寄せ囁いてくる。
「君があれほど魅力的だとは思わなかったよ」
「は?」
 戸惑って、近すぎる佐々木の顔を見る。
「君、綺麗な顔しているよね。以前は気づかなかったな」
 煙草臭い佐々木の口臭に、芳樹は顔を顰めたくなるのを我慢した。
「えっと、あの、CMのことでしたら、あれは化粧のせいで、俺が美人というわけでは……」
 余り失礼にならないようにと思いながら、芳樹は密着させられた体を離そうと動く。が、佐々木はがっちりと芳樹の腰を抱いて離さない。
「今度、一緒に飯でも行かないか?」
 そんな誘いをするために、何故、腰を抱く必要がある?
 芳樹は困惑したまま、佐々木を見つめた。以前、ドラマで共演した時は、こんな風にスキンシップをはかられることはなかった。
 佐々木は、にやにやとした笑みを浮かべている。
 佐々木の手が、ゆっくりと腰から下に移動する。
 その動きと感触の気持ち悪さに、うわっと声を上げそうになった時。後ろから声がかかった。
「ヨシキ! おまえ、何やってんだよ。トイレ行くのはいいけど、迷ってんじゃねーよ。もうすぐリハはじまるってよ」
 そう言って、近寄ってきたのは、悠斗だった。
 悠斗の姿をみとめた佐々木は、さっと、芳樹の身体に触れていた手を離した。
 芳樹はほっとして、悠斗を見る。
 悠斗は、芳樹の隣へと顔を向けた。
「ああ、佐々木さん。おはようございます。俺達これからリハなんで、失礼させていただきます」
 有無を言わさず、さっと芳樹の手首を掴んで、悠斗はずかずかと歩きだした。
「悪い、ユウト。迎えに来てくれたんだな」
 手首を掴まれたことで、また無駄に騒ぎ始めた胸の鼓動が、悠斗に聞こえないように願う。あのCM撮影の日以来、悠斗に触れられるだけで、頬は紅潮するは、動悸は激しくなるはで、芳樹はずっと困惑していた。
「それは別にいいよ」
 佐々木から随分と距離を開けてから、悠斗が芳樹の手首を離した。声から不機嫌さがにじみ出ている。
「おまえ、何、タダで触らせてんだよ」
「え? 何が」
 意味が分からず問い返すと、悠斗は立ち止り、声と同じ不機嫌な顔を芳樹に向けた。
「何がって、さっき、佐々木にセクハラされてたじゃねーか」
「え? あれってセクハラだったのか」
 悠斗は芳樹の言葉に、呆れ顔を作った。
「思いっきり尻触られてたくせに、何言ってんだか」
 芳樹はうっと言葉に詰まった。気のせいであってほしいと思っていたが、他人の目からみても、佐々木は芳樹の尻を触ろうとしていたのか。
 歩みを再開した悠斗のあとに続いて、芳樹は呟いた。
「最近、ああいう人増えてるんだよな。なんだって、俺に触りたがるんだか」
 俺なんか触っても、楽しくもないだろうに。
 そう思っていると、悠斗が急に立ち止まった。ぶつかりそうになって、慌てて歩みを止めた芳樹に、悠斗が声を上げる。
「何だよそれ。さっきみたいなこと、しょっちゅうあるのか!」
「え? まあ」
 肯定していいものか迷って、言葉を濁すと、悠斗は憤然と声を上げた。
「だーっ。信じられねぇ」
 そう言って、すたすたと歩き出す。芳樹はその後ろ姿を一瞬ぼけっと見つめてしまい、慌てて悠斗の背を追った。



 今日は音楽番組の撮影だ。生放送の音楽番組である。
 リハーサルを無事終えて楽屋に引きあげたあと、芳樹はじゃんけんに負けて、メンバーと真希の分のジュースを買いに出る。
 楽屋からは少し遠いが、局の中にある休憩所まで足を運んだ。この休憩所は奥まった場所にあるせいか、人の出入りが少ない。今も、誰もいなかった。そのことに少しほっとしつつ、芳樹は、自動販売機に小銭を入れる。
 ここ最近、あのCMのせいで、今まで会話を交わしたこともない人から、声をかけられたり、好奇の目にさらされたりしていて、いささか疲れていたのである。
 四つ目の缶ジュースを、取り出し口から取り出した時。不意に肩を叩かれた。
 嘆息したいのをこらえて、芳樹は肩越しに振り返った。
 芳樹は目を見張った。
 芳樹より十歳年上の、人気バンド『ワイルド』のボーカルが立っていた。名前はカズヤ。今日は同じ歌番組に出演予定だ。
 カズヤは精悍な顔立ちで、体格もいい。芳樹よりも十センチ以上身長が高い。百八十は軽く超えている。
 彼とは何度か、音楽番組などで顔を合わせているが、挨拶をする程度の仲である。
 実は、芳樹はワイルドがデビューした当初からのファンだった。同じ音楽番組に出演する時は、密かに胸を躍らせている。
「CM見たよ。すっごく綺麗だった」
「あ、ありがとうございます」
 芳樹は頭を下げた。憧れのカズヤから声をかけられたのは嬉しいが、出来るだけこの話題から逃れたい。
「買いだし?」
 カズヤの目が、芳樹の抱えている四つの缶ジュースに注がれている。
「はい。じゃんけんで負けまして」
 憧れの人から話しかけられて、内心舞い上がりながら答える。
「あ、じゃあ、自腹なんだ」
「ええ、まあ」
 芳樹はそれじゃあと、頭を下げてカズヤの横を通り抜けようとした。恥ずかしくて、これ以上、話していられない。
 カズヤはそれを阻止するかのように、壁に手をついて、芳樹の行く手を阻んだ。
「なっ」
 何ですかと問おうとした時、カズヤは芳樹の耳元に口を寄せて囁いた。
「君さぁ、ユウト君に惚れてるだろ」
「え?」
 心底驚いて、カズヤの顔を見上げると、彼は意地の悪い顔をしていた。興奮していた気分がすっと冷めていく。
「ずっと、ユウト君を目で追ってるよなぁ」
「そんなこと……」
 ありません。と言いたかったが、芳樹の言葉を遮るように男は言った。
「あるんだよ。もしかして、自分では気づいてない?」
 揶揄するような男の言葉が、頭を支配する。
 混乱している芳樹の表情を、楽しむように、カズヤは眺める。
「同類っていうのは、見れば分かるんだよ」
「同類って……」
 彼は、ゆっくりと耳元に近づけていた顔を離すと、芳樹の目を覗きこんだ。
 いつの間にか、壁際に追い込まれている。
「ゲイってこと」
「ええ? カズヤさんってそうなんですか」
 女好きで有名なカズヤの告白に、芳樹は現状を忘れて驚きの声を上げた。
 それを面白そうに見たカズヤは、芳樹の頤に手を掛ける。
「まあね。君もそうじゃないの?」
「俺は、違います」
 缶ジュースを抱えているせいで、カズヤの手を振り払えない。
「でも、ユウト君が好きなんだろう」
「それも、カズヤさんの勘違いです」
 反射的に言い返した芳樹は、一瞬、しまったと思った。カズヤのバンドは大手のプロダクション所属である。彼の機嫌を損ねると、プロダクションから手が回って、番組に出演出来なくなるという可能性もあるのだ。芳樹の所属するプロダクションは弱小だ。大手を敵に回すと非情に仕事がやりにくくなる。
「本当にそうかなぁ。自覚がないだけじゃないの? だって君、男を誘う色香がすっげー出てるよ」
 男を誘う色香? 
 そんなもの出していない。
 だが、最近妙に男性から声をかけられることが多かった。それって、俺のせいってこと?
 混乱したことで、油断が生じた。
 あっと思った時には、遅かった。
 カズヤに唇で、唇を塞がれる。
 驚きで、持っていた缶ジュースを、全て床に落としてしまう。
 大きな音を立てて、缶が転がっていく。
 ゆっくりと、唇を離したカズヤは、放心している芳樹をみとめたあと、また唇を重ねてくる。カズヤのたくましい腕が芳樹の背に回った。
 息苦しさに、口を開いた瞬間を狙ったかのように、舌が差し入れられた。そこで、ようやく芳樹は我に返った。
 カズヤを引き剥がそうとやっきになるが、カズヤの胸はびくともしない。
 どうしよう。
 混乱した芳樹の耳に、バタバタと大きな足音が届く。こちらに近づいているようだ。
 芳樹から唇を離して、カズヤは口の端を上げた。
「ほら、油断していると、こういうことになる」
 カズヤはそういうと、芳樹を抱きしめていた腕を離した。芳樹はへなへなと、その場に尻をついてしまう。
 唇を手の甲で拭っていると、聞きなれた声が耳に届いた。
「あ、いた。ユウ君。ヨシ兄いたよ」
 瞬の声だ。
 ほっとして、声のした方を見ると、瞬と悠斗がこちらに向かって走ってきた。
「何やってんだよ。ヨシキ」
 不機嫌そうな悠斗の声が耳に届く。
「いや、あの」
 さすがに、キスされていましたとは言えず、口ごもる。
「ジュース。落としたんだよ、な?」
 カズヤがしゃがんで、芳樹の落とした缶ジュースを全て拾って渡してくれた。缶ジュースの一つは、真ん中辺りが随分へこんでいた。この中に炭酸飲料がなかったのが救いかもしれない。
「えっと、はい」
 瞬と悠斗は不審そうな目で二人を見ている。
 カズヤはそんな二人に、しゃがんだまま、にやりと笑ってみせると、瞬達が見ている前で、芳樹の頬に唇を寄せた。
「うわっ」
 頬にキスされて、思わず芳樹は声を上げる。頬をおさえて、カズヤから体を離すように上体をそらした。
 カズヤは芳樹の肩に手をおいて、耳元に唇を近づけた。
「ユウト君に振られたら、いつでも慰めてあげるから」
 そう囁いて、男は立ちあがった。芳樹はそれをただ見上げることしかできない。
「じゃあ、また。今度会う時は、さっきの続きしような」
 そう言って、カズヤは芳樹達に手を振ると、悠々とその場を去っていく。
 続きって何?
 取り残された三人の間に、微妙な空気が流れた。
「ヨシ兄、何で床に座ってんの?」
 訝しい顔で、瞬は芳樹に手をさしだした。芳樹は抱えた缶を落とさないようにしながら、差し出された手を取り、立ち上がる。
「その、何て言うか」
 どう答えていいか迷っていると、悠斗が怒ったような顔を向けてきた。
「あいつに何された?」
「え? 苛められてたの? ヨシ兄」
 瞬が的外れな問いを発する。否、案外、的外れではないかもしれない。
「絶対、何かされただろ」
 芳樹は、悠斗の視線が痛くて下を向く。悠斗はそんな芳樹の様子に溜息をついた。
「はあ。まあ、いいや。とりあえず、話は収録終わってからな」
 悠斗は瞬を促し、楽屋へと歩き出した。
 芳樹は大きく溜息をついて、その背を追った。抱えていた缶ジュースは冷たくて、芳樹の胸や腕の熱を奪っていった。



 生放送は、なんとか無事にやり終えた。カズヤが何か言ってくるかと思ったが、特に呼びとめられることもなく、芳樹達はリバースタープロダクションへ帰ってきた。
 反省会をすると真希が言い出し、小会議室と呼ばれる部屋に入る。
「で、ヨシキ。あんた最近、セクハラ受けてるんだって?」
 席につくなり、斜め前の席に座る真希が身を乗り出すように、問うてきた。
 悠斗だな。と、思って芳樹は正面に座る悠斗を見る。
「カズヤにも、絶対なんかされてたろ」
 悠斗は芳樹を睨むように、真希の言葉に重ねる。
「えぇ? どういうこと」
 一人、意味が分からないというように、声を上げたのは瞬だ。
「シュンはちょっと黙ってろ。おい、ヨシキ。おまえカズヤに何された?」
 声に怒気がこもっていた。
 何をそんなに怒っているのかと、芳樹は首を傾げたくなった。
 これ以上、黙っていても悠斗の怒りが深くなるだけだと判断し、羞恥心を押し殺して、口にする。
「キスされたんだよ」
「はあ?」
 芳樹を除く三人の声がハモった。
「何それ、何それ。どういうこと、ヨシ兄」
「いや、俺もよく分からないんだけど、声を掛けられて、話をしてたら、急に……でも、キスなんて挨拶みたいなもんだろ。そんな騒ぐほどのものじゃないし」
 あまり大事にはしたくない。カズヤの真意がよく分からないし、あんなことがあったとはいえ、カズヤは芳樹の憧れの人だった。
 芳樹の発言に、悠斗が突っ込みをいれる。
「いや、騒げよ。そこは」
「っていうか、何だって、そんなことになった訳」
 真希が難しい顔をして、芳樹に尋ねる。
 芳樹は首を傾げた。
「あのCMで、俺に興味を持ったみたいだな。なんか、佐々木さんにもそんなこと言われたし」
 大本はそこだろう。君はゲイだと言われたことは、さすがに口にはできなかった。悠斗が好きなんじゃないかと疑いを掛けられたことも。
「あー。あのCMかぁ」
「佐々木ってあのおっさん? 俳優の? っていうか、何。ヨシ兄ってば、あのおっさんにまでキスされたのかよ」
 瞬が嫌そうに顔を歪めたのに、慌てて手を振って否定した。
「いや、あの人には体を触られただけ」
「だけって、芳樹。あんたね。体触るなんて、セクハラもいいところじゃないの。悠斗から聞いたけど、他にもそういう被害にあってるのよね」
 真希が額に手を当てながら、尋ねてくる。
 芳樹は開き直った。
「被害っていうか、まあ。最近一人になるとさ、妙にべたべたしてくる人が多いのは確かだけど、我慢できないほどではないし、あのCMの影響も、そう長くは続かないだろうから、大丈夫だよ」
「大丈夫だよ、じゃないでしょう」
 真希が疲れたように声をだした。
「でも俺、中高男子校だし、そういうの免疫ついているからさ」
「免疫って、あんたねぇ」
「ヨシ兄。俺、ぜんぜん気づいてなかった。しばらく三人一緒の仕事ばっかりだから、できるだけ、ヨシ兄を一人にしないようにするね」
 瞬にまで心配されるとはなぁと、内心苦笑して、芳樹はありがとうと告げた。
「つうか、ヨシキ。おまえもうちょっと自己防衛した方がいいぞ。今度キスされそうになったら、股間にひざ蹴りかましてやれ」
 悠斗は、可愛い顔をして、凄いことを言う。
 芳樹は、苦笑して、分かったよと答えた。

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