アイドルLovers(18禁)


第六章 戸惑い

 瑛士に連れられてやってきたのは、いわゆるゲイバーと呼ばれる所だった。
 なるほど、確かにそういう人たちが集まる場所だ。
 瑛士は慣れた調子で、カウンター席に腰を下ろし、隣の席に座るように促した。
 ここでも瑛士は、バーのマスターに向かって、芳樹の分まで、勝手に飲み物を注文する。
「よく来るのか?」
 余りに慣れた様子なので、尋ねると、肯定が返ってきた。
「まあな。大抵、彼氏と一緒にやけど」
「ふーん」
 一種独特の雰囲気がある場所。その気配にのまれて、緊張する。ゲイバーだけあって、店内には男性の姿しかない。当たり前といえば、当たり前なのだが。それに、この店に入ってから、あちらこちらから、視線を感じるのだ。
「瑛ちゃんお待たせ。今日は、えらい美人連れて。浮気か?」
 カクテルを瑛士と芳樹の前にだしながら、カウンターの向こうに立つマスターが、笑顔を向けてくる。ハンサムだ。年齢は三十台後半くらいだろうか。店内が薄暗いので、分かりにくいが。
「ちゃう、ちゃう。コレは俺の高校の時からのツレ。今日はええ男を見つくろってやろう、思てここに来たんや」
「へぇ、彼なら選り取り見取りだろうに」
 マスターは不躾にならない程度に、芳樹へ視線を向けてくる。
 芳樹は困惑の表情を浮かべることしかできなかった。
「こいつは、純粋やねん。自分の魅力をこれっぽっちも分かってへんねん」
 芳樹の肩を掴んで、瑛士は力説する。芳樹は眉間に皺を寄せて、彼を見た。
「瑛士。酔ってないか?」
「酔うてへん。俺が酒強いこと、おまえ知ってるやろ」
「知ってるけど……」
 そんな会話を交わしている間に、マスターは他の客に呼ばれて、芳樹達の前からいなくなった。
「常連の中で、初心者のおまえに合う男を、数人見つくろったるから、そん中の誰かと、あれやこれやして来い」
「して来いって、あのさ。あれやこれやって、具体的に何すればいいんだよ」
 小声で問うと、呆れたと言わんばかりに溜息をつかれた。
 瑛士はそっと、芳樹の耳に口を近づけ、囁く。
「決まってるやろ。エッチなことや」
「そっ……」
 それは、ハードルが高すぎる。この場所にいるだけでも緊張しているのに、見ず知らずの誰かとエッチするなんて、考えられない。
 芳樹が一人焦っていると、瑛士の携帯電話に着信があった。
「ちょお、ごめん」
 瑛士は、椅子をくるりと動かして、芳樹に背を向ける。芳樹は、落ち着こうと、マスターの置いていった酒に手をつけた。
 口に含むと、爽やかな甘さが広がる。
 美味しい。
 隣では、瑛士がなにやら電話の相手と言い合っている。
 ちびちびと酒を飲みながら、見るとはなしに、横眼で瑛士を見ていたら、瑛士がいきなりこちらに向き直った。
「悪い。俺、急用できたから、行くわ」
「えっ? 行くわって。俺は?」
 慌てて声を上げた芳樹に、瑛士は椅子から下りながら答える。
「おまえをこっから一人で帰すんも怖いし、迎えよこすから。そいつが来るまで、ここにおれ。ほんで、絶対に、誰に何を言われても、ほいほいついて行かんように。ここはオオカミの巣やと思え。ええな」
 指をつきつけられて、芳樹は瑛士の迫力にたじたじとなり、頷いた。
「ほんなら行くわ。マスター勘定」
「あ、ちょっと」
 芳樹は引きとめるように、腰を浮かしたが、瑛士は見向きもしなかった。彼はマスターに芳樹の分の酒代も支払うと、店を飛び出していく。
「迎えって、誰が来るんだよ」
 芳樹は呆然としつつ、瑛士に聞きたかった疑問を、誰にともなく、呟いた。



 困った。これは、困った。
 芳樹は、瑛士に言われたとおり、最初に座った席についていた。
 瑛士が店を出て行ってすぐ、一人の男に話しかけられた。しどろもどろに対応していると、他の男が寄ってきた。
 今、芳樹はカウンター席に腰かけたまま、三人の男と対峙している。
「どう? これから、二人きりで、飲みにいかないか?」
「おい、先に声をかけたのは俺だぜ?」
 最初に、芳樹に声をかけてきた男が、最後に声をかけてきた男を睨む。
「でも、彼は嫌がっていたじゃないか。ねぇ」
 尋ねられて、芳樹は返答に窮した。
「まあまあ。彼が困っているだろう。ここは、一つ、俺達三人の中の誰がいいか。彼に決めてもらおう」
 二番目に声をかけてきた男が、驚きの提案をしてきて、芳樹は心底困り果てた。
 はっきり言って、誰について行く気もないのだ。迎えをよこすと瑛士が言っていたし、誰にもついて行くなとも言われた。
「あの、俺……」
 待ち合わせしている人がいるので。そう、言おうとした時だった。
 店のドアが勢いよく開かれた。
 店内の視線が一気に、ドアの方へ向く程の荒々しさだ。
 芳樹も反射的に、そちらへ顔を向けると、驚いて目を見開いた。
「何で?」
 知らずに声が漏れる。
 ドアを開いた人物は、鋭い視線で店内を見回して、三人の男に囲まれるようにして座る芳樹に目を止めた。
 彼は、大股で芳樹のもとへくると、三人の男の間に割って入り、芳樹の手首を掴んだ。
「悪いけど、こいつは俺のなんで」
 三人の男達を睨むと、唖然としている店内の人たちの間を縫うように、芳樹を連れて店を出る。



 寒い外を、引きずられるように、歩きながら、芳樹は自分の手首を掴む人物に声をかけた。
「ユ、ユウト。何でここに?」
 悠斗は唐突に立ち止り、芳樹を振り返ると、掴んでいた手首を離した。
 じんと、掴まれていた手首が痛い。
 悠斗の顔には怒りが満ちていた。
「それは、こっちの台詞だ。おまえ、ここがどういう場所か知ってて来たんだろ?」
 芳樹は、なぜか後ろめたい気持ちになって、悠斗から視線を逸らした。
「瑛士から電話があった。ヨシキがゲイバーで男を漁ってるってな」
 芳樹はぎょっとした。瑛士の奴、なんてことを悠斗に吹き込むんだ。
「ご、誤解だ」
「どう、誤解なんだよ。実際、おまえはゲイバーにいて、男に囲まれて、へらへら笑ってたじゃねーか。あの中の誰かと、どっか行こうと思ってたんじゃねーのか」
 へらへら笑っていたつもりはないが、悠斗にはそう見えたのだろうか。確かに相手を刺激しないように、笑顔でお断りを入れようと思っていたが。
 それにしても、何故、悠斗は怒っているのだろう。芳樹が、ゲイバーにいたことに嫌悪感を抱いているのか?
 そう思うと、悠斗の怒りが伝染したように、腹が立ってきた。
「もし、そうだとしても、別にユウトには関係ないじゃないか。俺の自由だろ」
 悠斗の視線に鋭さが増した。これは、かなり怒っている。
 悠斗は、怒りを吐き出すかのように大きく息を吐いた。芳樹はそんな悠斗の様子を黙って見つめる。
「なら、さっきの店に戻れよ。俺はとめねぇから」
 悠斗は、感情を押し殺したような声でそう言い捨てた。そのまま、芳樹に背を向けて歩き出す。悠斗の背がどんどんと遠ざかって行く。
 俺、見捨てられた?
 小さくなっていく背中に、焦りと恐怖を覚えて、芳樹は走った。
 走って来る足音に気づいているだろうに、悠斗は振り向かない。
「ユウト!」
 芳樹は、悠斗の真後ろに立ち、悠斗の右腕の袖を掴んだ。手が、震える。
 悠斗は足を止めて、ゆっくりと芳樹を振り返る。
 冷たい瞳に見つめられて、芳樹は泣きたくなった。悠斗の視線に耐えきれず、顔を俯ける。
「ユウト、ゴメン。男、漁ってたとか、嘘だから。本当は困ってたんだ。瑛士に連れてこられて、店に行ったはいいけど。置いていかれて、どうしていいか分からなくて……」
 芳樹は、おずおずと顔を上げた。表情の無い悠斗の顔が目に入り、また俯きたくなるのをこらえて告げる。
「ユウトが、来てくれて助かった」
 しばらく、無言で芳樹と悠斗は見つめ合った。近くの店から、食べ物のいい匂いと、にぎやかな声が二人のもとへ届く。
「何で、あの店行った?」
 沈黙を破ったのは、抑揚のない悠斗の声だった。芳樹は取り繕うことをやめて、本当のことを口にした。
「カズヤさんに言われたんだ。き、君は、ゲイだって。それで、瑛士に相談したら、試してみればいいって、あの店に連れていかれて」
 さすがに、悠斗に惚れているのではと疑いを掛けられた。などと、本人には言えなかった。
 芳樹は悠斗の様子を、上目使いに見つめた。
「瑛士の野郎。おちょくりやがって」
 ぼそっと、悠斗が呟いた。よく聞き取れなくて、芳樹が聞き返そうとするが、悠斗の声に遮られる。
「それで、ヨシキは瑛士の言葉にほいほいのって、あの店で男探して、自分が、男が好きかどうか試そうとした訳だ」
 瑛士の言葉にほいほいのって、という言い回しが少し不愉快だったが、事実なので、芳樹は頷いた。
「バッカじゃねーの。悩んでんなら俺に言えよ。ああいう場所には、危ない奴とかいっぱいいるんだよ。ヨシキみたいな世間知らずが行くような店じゃねーの」
 世間知らずで悪かったな。と、思った芳樹の耳に、悠斗の次の言葉が入ってきた。
「瑛士から連絡もらって、俺が、どんだけ、心配したと思ってんだよ」
 心配、してくれたんだ。
 芳樹は驚いて、悠斗を見つめた。ふつふつと、嬉しさが胸に湧き上がる。
 嬉しさが顔に出ないように、意志の力を総動員した。
「ゴメン。ユウト」
「次やったら、許さねぇから」
 悠斗の顔に、ようやく表情が戻った。口元をふっと緩めて、芳樹の背に手を当てる。
「帰ろうぜ」
 悠斗に、促されるように歩きだす。
 手を添えられたままの背中が、熱い。
 また、心臓がドキドキする。
 今が夜で良かった。
 街灯はあっても、暗い夜道なら、今、自分の頬が赤くなっていることに、気づかれないから。



 途中でタクシーを拾って、芳樹は悠斗と共に、マンションへ帰ってきた。
 三階へ上がるエレベーターの中では無言だった。
 悠斗は何かをずっと考えているようだった。
 芳樹はかける言葉が見つからず、ただ、悠斗の様子を眺めていた。
 エレベーターの扉が開いた。
 不意に悠斗の手が、芳樹の手首を掴む。
「え? ちょ、ちょっとユウト」
 驚きに声を上げたが、悠斗は意に反さず、芳樹を引きずるように歩いて行く。
 芳樹の部屋のドアの前を素通りして、悠斗の部屋の前に連れてこられた。
 悠斗は無言で、解錠すると、ドアを開いて芳樹を玄関に押し込んだ。
 悠斗は掴んでいた芳樹の手首を離すと、その手で芳樹の背を押した。ほぼ同時に、背後で、ドアの閉まる音が聞こえた。鍵もかけたようだ。
 またもや悠斗に背を押され、芳樹は、バランスを崩しながら靴を脱ぐと、廊下にあがる。
 抗議しようと、悠斗の方へ体を向けたとき。
 壁に、肩を押しつけられた。
 驚く間もなく、悠斗の顔が近づいてくる。
 悠斗に唇を奪われていた。
 呆然と、芳樹は目を見開いた。
 ゆっくりと、悠斗が唇を離す。
 悠斗と、視線が交錯する。

 あの時の顔だ。

 芳樹は、悠斗の顔を凝視した。
 あの、美王のCMの時の顔。
 獲物を狙う、ハンターのような、雄の顔。
 悠斗は、ゆっくりと口の端を持ち上げた。
「俺が試してやるよ」
 悠斗の言葉が理解できない内に、もう一度悠斗が顔を近づけてきた。
 一切、抵抗しなかった。
 否、できなかった。
 芳樹は、悠斗と深い口づけにおぼれた。

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